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うつ病ニート うつを脱却し、億万長者になる!?

このブログは、うつでニートな中年男性が、億万長者に弟子入りして、億万長者を目指すドキュメントです。うつ病減薬・断薬記も記載。

最近の心境報告

 

 

どうも、シュンクボです。本日もご覧

くださり、ありがとうございます!

 

モーツァルトベートーヴェンについ

てたまに考えます。モーツァルトとベ

ートーヴェンは師弟関係にあり、互い

の音楽を認め合っていました。モーツ

ァルトなしに、ベートーヴェンの音楽

は成立しえなかったのかもしれません。

 

ですが、両者には決定的な違いもあり

ます。

 

それは、作曲のやり方です。

 

近代クラシック音楽を確立させたのは、

ベートーヴェンだと言われています。

ベートーヴェン以後に生まれた作曲家

は、必然的にベートーヴェンを強く意

識して作曲せざるを得ませんでした。

クラシック界で有名な神話に、「ベー

トーヴェンの呪い」なんてのがありま

す。交響曲第10番を書こうとすると死

んでしまう、なんてジンクスです。

 

ベートーベンの第9があまりにも偉大

で、以後の交響曲のあり方を規定して

しまったために、10番以降のシンフォ

ニーを書こうとした作曲家の多くは、

書けなくなったり、死んでしまったり

なんて事態になりました。

 

ただ、これは都市伝説や迷信の暗示の

効果もあるかもしれませんが、それ以

上に、ベートーベンが確立した作曲方

法が影響を及ぼしているのではないか

と思います。

 

ベートーベンの作曲(執筆)した楽譜の

原稿には、たくさんの修正の痕跡がある

そうです。自宅の部屋に閉じこもり、机

に前かがみになって、頭を抱え、悶々と

しながら五線紙に音符を書いたかと思う

と、すぐにその音符をインクでかき消し

てまた考え込む、という姿が思い浮かび

ます。

 

作曲に対してストイックに挑む姿は、ま

さに彼自身の作曲した重苦しい弦楽四重

奏やピアノソナタによって象徴されてい

ます。

 

肖像画もそうですね。実際はあんな顔じ

ゃなかったという話なんですけど、時代

や世の中のクラシック好きが求めている

芸術家のイメージが、ベートーベンの肖

像画に体現されている気がします。

 

みけんに皺の寄ったような深刻な表情。

まさに運命の苛酷さを一身に背負ってい

るかのような鋭い目つき・・・。

 

ベートーヴェン以後のクラシックは、

即興ではなく、楽譜と言うテキストに

厳密に従って演奏されなければならな

い、というスタイルや流れになりまし

た。

 

もちろん、指揮者がその楽譜をどう解

釈して演奏するか、という自由はあり

ますが、彼以前の作曲家に比べると、

だいぶ厳格です。まるで、ベートーベ

ンという名の唯一神にこうべをたれ、

ひざまずいて、場合によっては天罰も

受けよ、と言わんばかりです。

 

楽譜というテキストに忠実に従わなけ

ればならないという、音楽のテキスト

中心主義は、実は、19世紀と20世紀の

芸術のあり方と根本的に関係していま

す。

 

16世紀の芸術ルネサンスから、19世紀

初頭まで続いた古典主義の時代までは、

芸術・科学・政治・宗教・世俗社会等

が、わりとボーダーレスなところがあ

りました。レオナルドダヴィンチは絵

画の分野に科学の思考を取り入れたり、

服飾デザインをやったり、機械工学や

都市計画に関するアイデアなんかも手

紙や草稿に記されています。

文豪ゲーテは詩や小説以外にも、自然

科学の著作をたくさん書いたり、共和

国の宰相(今でいう首相)をやったりと、

なかなかマルチに活動していました。

 

ですが、こうした天才たちが芸術や社会

の土台、つまり、一本の樹木に例えれば、

根と幹を形成すると、今度は、枝を広げ

ていく必要があります。

 

ベートーヴェンは、枝を広げる役割を芸

術業界で担った人です。

 

ベートーベンという大枝をもとに、小さ

な枝が、文字通り枝分かれしていきます。

 

小さな枝・・・それは本当に小さな小さ

なか弱い、か細い、繊細な枝です。ちょ

っとしたことでポキッと折れてしまいか

ねないような・・・。

 

ですが・・・そんな繊細な枝の先に、美

しい花は咲くのです。例えばサクラは、

サクラの花がなければ、サクラとして認

知されることはありません。コブクロも、

いきものがかりも、もしサクラの花を美

しいと感じなければ、サクラの歌は作ら

なかったでしょうし・・・。

 

文化という豊かさを表現するには、花が

絶対に必要なのです。だから、ベートー

ヴェンが悶々としながら自室にこもり、

艱難辛苦の果てに第9を仕上げるという

、閉鎖的で自己完結したプロセスは、自

然が求める流れでもあったわけです。

 

けれど、サクラにしても、やがては花を

散らしますし、冬を迎えると、葉っぱも

落ちます。冬のサイクルに入ると、次の

春に向けて、樹木は、再び根や幹にエネ

ルギーをたくわえるのです。

 

21世紀の芸術は、根や幹を意識すること

が求められている。

 

つまり、

《原点回帰するというやり方で、芸術の

「華」を咲かせていくことが求めれれて

いる》

 

そんな気がします。

 

本日はこのへんで。

本日もご覧くださり、ありがとうござい

ました!

 

シュンシュン(^^♪

 

 

 

シュンクボのシュンクボによるシュンクボのためのクソったれ表明演説 その1

 

 

どうも、シュンクボです。本日も

ご覧くださり、ありがとうございます!

 

ああああああああああああああああああ、

クソったれクソったれクソったれクソったれ!

 

何がありがとうだ、クソったれクソったれクソ

ったれ!

ご覧下さらなくても結構ですクソったれクソっ

たれ!

 

いつも見なくても結構ですクソったれクソった

れ!

僕も毎日書く気がしませんクソったれクソった

れ!

 

本日はこのへんでクソったれ!

本日はクソして寝てろ、クソったれ!!

 

糞! 糞! 馬の糞!!

 

 

寒い寒い寒い寒い!!


寒い寒い寒い寒い。
寒い寒い寒い寒い。

ダルいダルいダルいダルい。
ダルいダルいダルいダルい。

しんどいしんどいしんどいしんどい!!
しんどいしんどいしんどいしんどい!!

マジでやってられんばってん( ノД`)…

アボリジニ最強説

 

 

どうも、シュンクボです。本日も

ご覧くださり、ありがとうございます!

 

オーストラリアの原住民族にアボリジニ

がおります。

 

彼らは文字を持ちません。つまり、本を

読む習慣もなければ、インターネットを

使う習慣もありません。

 

それどころか、彼らには占有(独占所有)

という概念もありません。

 

自分たちの生きている地球は、神様の

もの。だから、この世に存在するもの

は全て、神様が与えてくださっている

ものであり、神様からの恵みは、みん

なで自由に使ってよいと考えているら

しいです。

 

アボリジニは、長旅をする時も、旅装

をすることはありません。キャリーバ

ッグや財布はおろか、旅行用の食べ物

や水さえ用意せずに気ままに出かけま

す♪

 

西洋の人間がそれに驚愕して「大丈夫

なのか?」と尋ねると、アボリジニは、

 

「水を飲みたいと思ったら、簡単に手

に入るよ」

「どうやって!?」と西洋人。

「そこらの地面を掘れば湧き出てくる」

と、アボリジニ

「そんな保証がどこにあるんだ!?」

と、西洋人。

「だって、神様が与えてくださると信

じているから」

 

 

彼らは神様を絶対的に信じていますし、

どんな状況でも神様が助けてくださる

と確信しているからこそ、所有権を主

張しなくてもいいし、何かを持とうと

しなくても、勝手に手に入るのです。

 

彼らは、武器も鎧も持ちません。

そもそも争う必要がないからです。

 

武器も鎧も、最初は身に着けていて

カッコイイと思うでしょうが、しだ

いに体が重くなっていき、魂もキシ

キシ歪んでいきます。

 

アボリジニみたく、

心と体は、常に身軽でありたいもの

です。

 

本日はこのへんで。

本日もご覧くださり、ありがとうご

ざいました!

 

シュンシュン(^^♪

 

 

素敵なポエムと出会う

 

 

どうも、シュンクボです。

本日もご覧くださり、ありがとうございます!

 

宮澤章二さんという詩人・作詞家の、とある詩

に感銘を受けました。この場で引用させていた

だきます。

 

 

 

行為の意味

 

あなたの<こころ>はどんな形ですかと

ひとに聞かれても答えようがない

自分にも他人にも<こころ>は見えない

けれど ほんとうに見えないのであろうか

 

確かに<こころ>はだれにも見えない

けれど<こころづかい>は見えるのだ

それは 人に対する積極的な行為だから

 

同じように胸の中の<思い>は見えない

けれど<思いやり>はだれにでも見える

それも人に対する積極的な行為だから

 

あたたかい心が あたたかい行為になり

やさしい思いが やさしい行為になるとき

<心>も<思い>も 初めて美しく生きる

 

それは 人が人として生きることだ

 

(宮沢章二 『行為の意味 青春前期のきみたちに』より)

 

 

「こころづかい」てなかなか僕は日常耳に

したことがありませんので新鮮でした。

気づかい、とか、気をつかう、とかは聞い

たことがありますが。

 

今年のテーマは「こころづかい」で行きま

しょうかね~♬

 

本日はこのへんで。

本日もご覧くださり、ありがとうございま

した!!

 

シュンシュン(^^♪

 

 

「できない」は時代を作る!?


どうも、シュンクボです。本日も
ご覧下さり、ありがとうございます!!

前回、漫才コンビ、ダウンタウンは、
先人達の速いテンポの漫才、言ってみ
れば、世間(当時の大阪)のお笑い好き
が求めていた水準に、実は適応ができ
なかったからこそ、新しい漫才を産み
出すことができたのではないか、と仮
説を立てました。

世間が求めるリズムに合わせることが
できなかったからこそ、自分達のテン
ポでやる漫才が、新しい漫才だと認知
されるようにするしかなかった。


と、あえて消極的な表現で書きました。

本当のところはわからないですけどね。
鶏が先か卵が先か。もしかしたら、
遅いテンポの漫才を、世間が将来
求めるようになるだろうと踏んで、そ
れに合わせた結果、進化説じゃないで
すけど、速いテンポに合わせる能力が
退化していったのかもしれないですね。

ただね、霊能者の坂田さん(仮名)が言っ
てたんですが、仕事が上手くこなせてい
る人は、≪自分を仕事に≫合わせさせる
のではなく、≪仕事を自分に≫合わせさ
せているらしいんですよ。

つまり、自分のリズムで仕事をしている。
言い換えれば、自分のペースを大切にし
ているとも言えます。

そんなこと、会社の従業員には無理だよ
と思っている方もいらっしゃるかもしれ
ないですね。確かに、世間一般では、自
分が会社に合わせるべきだという考えが
主流ですから…(-.-)

でもね、なぜか仕事ができる人とか、人
間関係が上手くいっている人は、自分の
リズムでやっているんですよ、よくよく
観察すればわかりますけど。

会社の従業員でなくとも、自営業者だっ
て、トップの社長だって、自分のリズム
を見失ったら、後々ヤバいことになると
思います。

だから自分自身を知ることが大切なんで
す。自分自身と向き合うってそういうこ
となんです。自分自身と協調できなけれ
ば、世間とも結局は協調できません。

本日はこのへんで。本日もご覧下さり、
ありがとうございました!!

シュンシュン♪

「できない」て大切だな♪ ダウンタウンを見て

どうも、シュンクボです。本日も
ご覧下さり、ありがとうございます!!

大みそかの特番に、絶対に笑っては
いけない24時間、があります。

ダウンタウンが主役の恒例特番なので
すが、僕はその番組を去年見てショッ
クを受けました。

笑ってはいけない、という本筋の企画
とは別に、笑ってはいけない企画に参
加するメンバー以外のお笑い芸人たち
も、一緒に参加する企画がありました。

企画は、浜ちゃんと松ちゃんをリーダ
ーにした二つのチームが、リズムに合
わせたゲームを行い、より上手くでき
たチームが勝利、というものでした。

ひとつ目は、5人が順繰りに、手拍子を
2回叩いて、参加者の一人の長所を言う、
というものでした。

二つ目は、あとだしジャンケンゲーム。
二人の参加者のうち、一人が先にグー
を出したら、もう一人はあとだしでわざ
とチョキを出して負けなければならない、
という具合のゲームでした。


このゲームに全く適応ができなかった芸
人が3人いました。

一人は、蛭子能収…(笑)
この人は芸人ではないですし、リズム感
が全くないイメージですから、まぁ予想
どおり。

ですが…

残りの二人は、ダウンタウンの二人でした。


ひとつ目のゲームでは、浜ちゃんの長所を
言う、という場面に、当の浜ちゃん本人が
参加していたのですが…

彼、リズムに合わせて言えないんですよ…

他の芸人たちが、
「ツッコミ天才!」
とか、
「気遣い上手!」
とか、手拍子のテンポに乗って浜ちゃんの
長所を挙げていくんですけど、

浜ちゃんは、
「・・・・・・・風呂が・・・長い」
とか、
「・・・・・・・・・・・・・愛妻家ァ!!」
とか、リズムに合わせられなくて、その度
に相手チームから抗議が入り、司会の千原
ジュニアが仲裁するという展開でした。

相手チームの松ちゃんもほとんど同様…(笑)

二つ目のゲームでは、浜ちゃんと松ちゃんが
直接対決したんですけど…

そもそも先にグーを出すべき浜ちゃんが、ス
ッと出せずに、モタモタしていて…
ゲーム自体が全く成立しない(笑)

僕はこうした展開を見て思いました。

ダウンタウンって、要求されたリズ
ムに、もしかすると、適応できないん
じゃないか…」

つまり、相手や世間のリズムやテンポ
に、合わせることが、実は苦手なんじ
ゃない!?

と思ったのです。

てっきり、間を読むのが上手いので、彼ら
二人は、テンポやリズムに合わせるのが
メチャクチャ上手いのかと世間では思わ
れてますし、僕もそう思ってたんですが。

なぜだ…?

そう問いを立てた瞬間、島田紳助がDVD
で漫才論を熱く語っている場面で、紳助
がこういってるのを思い出しました。

ダウンタウンの漫才見たとき、テンポが
すごくゆっくりしてると思ったんよ。紳助
竜介やB&Bが16ビートぐらいだとしたら、
あいつらは8ビートくらい」
「…俺、素直に聞いたんよ。『これでイケ
るん?』て。そしたら、確か松本やった
と思うけど、あいつが、『イケる思います』
て」

ダウンタウンは当時の世間のテンポより、
倍近く遅いテンポで勝負した。
そんな感じに島田紳助はいってますけど、

勝負した、というより、そもそも、そう
勝負をするしか他になかったんじゃない
のか、ということを思いました。

世間のリズムやテンポに乗ることができ
なかったから、自分達のリズムで勝負す
るしかなかった。



だから・・・・・・

ダウンタウンは、時代を、自分達のリズ
ムに、合わせさせるように仕組んだ、

つまり、時代のパイオニアになるしか自
分達が生き残る手段はなかったんじゃな
いか。

そう思いました。
できないということから、時代を変革す
る強烈な動機が生まれたんじゃないか。


彼らは、できない、ということを、誇り
にしたんでしょうね。

弱さが強さ。そこに気づくことが大事な
んですね(^^)


本日はこのへんで。
本日もご覧下さり、ありがとうございま
した!!

シュンシュン♪